2007年02月10日

[ 「LOST(ロスト)」シリーズは「余白」の美なり

SAVE0018.BMP 「unkown」by hideyuki

これはもう、観ていただくしかない。「LOST(ロスト)」という海外ドラマの凄さは。それは、どんな話なの?と問われて答えれば、「無人島でサバイバルする人たちの話」で終わってしまうからだ。確かに、全編通して無人島(おそらくハワイ諸島でのロケであろう。)での48人の男女の場面が基本のこのドラマ、話の内容がわからない状態で途中から観れば、何でこんなにいつも同じのせまい場所で同じ俳優の話が展開しているのだろう、と疑問に思うかもしれない。だからこそ、このドラマはシーズン1の最初から、1話も見逃してはならない。場面設定がシンプルな分、そのストーリーと登場人物の「過去」に纏わる心理描写がスリリングなドラマだからだ。

LOSTは英語で「失う・無くす・迷子」などの意味がある。そう、文字どおり、このドラマは「無」から始まる。
無人島に飛行機が墜落し、救助も来ない中、生存者である登場人物達は現実世界との謝絶から、社会的地位などの生きていた「証(あかし)」をLOSTする。同じ米国からの海外ドラマで、「24(トゥエンティフォー)」という爆発的ヒットを飛ばしているシリーズがあるが、こちらはある意味ロストとは正反対、次々と変わる場面展開に、膨大な量の情報であるセリフ、1シーズンに絡んでくる登場人物もとても多い。そういう意味でも、24を「動」とすればロストは「静」のドラマ。そこに私は、とても日本的なものを感じる。

私の本業である水墨画には「余白(よはく)」を美とする概念がある。ただでさえ墨と筆で白黒をメインに描かれるシンプルな絵画だが、主にしたい画材、例えば竹なり椿なりの周りに敢えて何も描かない「余白」を作る。それは主役を取り囲む空気であり、背景であり、見る人の心理を透写するスペースである。何もないところから生まれてくる言わば想像力に、訴えかける絵画技法なのだ。

こういった日本的な概念は日本の伝統文化のあらゆるところに息づいている。静寂を美とする日本文化。小説でも、あまり説明しすぎず比喩や暗喩で情景を描写するものが多い。最近は、そういう日本的な作りをされている映画がハリウッドでも認知されつつあると思う。映像やCGはもう凄いのが当たり前の時代に、深い心理描写や観る者に何か余韻を残すような作品の構成は逆に新鮮で心に響くものがある。さらにホラー小説で鈴木光司原作のハリウッドでもリメイクされた「リング」シリーズは、惨殺死体の精巧な映像表現のかわりに、なかなか出てこない怨霊にせまるまでの「間」が恐怖心を煽る点が欧米人にもウけたわけだ。

とはいえ、LOSTの主体でありストーリーの核になる登場人物の過去に迫るシーンや、シーズン1の1話の冒頭の墜落した飛行機のシーンなどの作りこみは素晴らしい。主体が素晴らしいから「余白」が活きる訳である。私の水墨画作品の余白は果たして活きているのかはさておき、LOSTの余白にみる謎やスリルや心理描写を、堪能していただきたい。

「LOST」の世界に浸る!
LOST シーズン1 DVD Complete Box
LOST シーズン2 COMPLETE BOX
タグ:ロスト LOST 24
posted by ヒデユキハヤリモノ at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 美しき はやりモノたち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月03日

「DEATH NOTE」をあなたは見たか

THE-REAPER.jpg 「The Reaper」 by hideyuki
(toribute to「DEATH NOTE」 大場つぐみ・小畑 健 著 集英社刊)
 

デスノートという作品を知らない人は、もう日本にはわずかかもしれない。映画は前編・後編と公開され、昨年からは日本テレビ系でTVアニメもスタートした。映画では主役のライト役を藤原竜也が演じたが、彼は3年前のNHKの大河ドラマ「新鮮組」で沖田役を演じたので、幅広い年代の(特に女性の)ファンを持っていたこともあり、映画の認知度は世代を超えて高いだろうし、アニメはこちらも作画が美しく、ドラマのサスペンスものを見ているようなテンポでストーリーが進み、また映画とは違うカラーのデスノートがそこにはある。

しかし、やはりこの作品は原作であるコミツクの素晴らしさを一番に私は挙げたい。小畑氏の作画の美しさは週刊少年ジャンプ(集英社)に前回連載されてこちらも大ブレイクした「ヒカルの碁」から目をつけていたが、この作品で同氏のプチ劇画風のタッチに大場つぐみ氏のシリアスでサイコなストーリーが見事にマッチしていて、もう例えようがない完成度の高さだ。同少年誌での連載を見た読者も、コミックの雑誌より上質な紙面で小畑氏の作画を手元に置きたいと思ったことだろう。その証拠に、DEATH NOTEコミック第一巻目の売り上げ100万部最速達成記録を樹立したという。

この作品は映画・アニメ・ひいては好調な海外進出も最初から毛頭に置いて作られた作品だったのか、少年誌に連載する作品にしてはターゲットの年齢設定が高めだったように思う。ある政治家の方でさえ少年誌を愛読している時代、コミックに求められるハードルはますます高くなり、デスノートに見られるようなリアリティを含むコミツクも今後さらに増えていくことだろう。私はこの作品の、特にコミックのセリフの多さに、今注目の海外テレビシリーズの「24」や「LOST」の片鱗を見るのだが、その話はまた次回に述べたい。

posted by ヒデユキハヤリモノ at 02:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 美しき はやりモノたち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

倖田 來未に見る美

Ms.K.jpg 「Ms.K」by hideyuki


私が倖田來未を初めて知ったのは、確かPS2のゲームソフト「ファイナルファンタジー」のタイアップ曲で、彼女はゲームのキャラクターのモデル兼、声も担当していた。彼女はまだあまり売れていない頃だったろうが、とても声に力のあるボーカリストだな、と感じた。私の感想では、ああいう声をしっかり発声するタイプの歌手の楽曲は、ゲームの根底にある「冒険・チャレンジ」というテーマを増長してくれる。私は彼女に興味を持ったので、CDショップに行き、私が一番気になる彼女のビジュアル面をみようとその楽曲のCDジャケットを探した。そこに写っていたのは、渋谷や池袋に普通にいそうないわゆるギャル。普通の女の子が、あんなに正統派の発声方法で、真面目に素直に歌っている・・・なにかそこに妙に好感を持って、新しい波が来るのを感じたのを記憶している。

 彼女は、確かに(申し訳ないが)美人の部類には入らない女の子であるかもしれない。ギャルと呼ばれる子たちも、大概派手なメイクに露出の多い服。必ずしも身体のラインが良くなくても、とにかく出す。この世は所詮、多数決で何事も決まる。そういうスタイルをとる子達が消費する世代に多ければ、そのスタイルこそがその時代の美になるし、供給する大人側からすれば、良く売れる商品は善になる。そういう意味でも、倖田來未は本当に優良な消費者の代表のようなものだ。さらに重要なのは、彼女のキャラクターも一見すると、普通のギャルと同じに見え、身体のラインなんか良くなくっても自信満々で、ある意味少し勘違いして(ますます失礼だが)露出命でカラッとしている。だから彼女が後にブレイクした時、世のギャルが自分達と同じタイプの女の子が支持される快感というものに上手く大人が便乗し、倖田來未という普通の女の子をカリスマに押し上げたということに、今の時代の美意識の典型を見た思いがした。
 
私は何も、それが悪いと言っているのではない。むしろ今の時代の美を倖田來未を通して見ることができて嬉しい。倖田來未は若さそのもの。そして、いつの時代も生きとし生けるものの「若さは美」であった。花は咲いている時が一番美しい。それはほんの一瞬であることも皆知っているから、なお愛しい。だから倖田來未には、いつまでも若さの典型である、思い込みであったり、自己中心的であったり、怖いもの知らずであったりということを存分にやってもらいたい。それこそが眩しい「若さという美」だから。

逆に最近少し心配なのは、実は彼女がとても努力家で、非常に周りに気を遣い、幾度となく落ちたオーデションにもめげない不屈の精神の持ち主である、と判明したこと。それに、そのルックスにも自信が持てずに来たということをクローズアップしすぎていること。それはもちろん、人間としての彼女の素晴らしさであり、幅広い世代のファン獲得にはなるだろうが・・・くーちゃん、「分別」はもっとオバサンになってからのキャラだよ、エロかっこいいでもなんでもいい、お願いだから身勝手なままの若者のふりをして、夢を見させ続けてくれよ・・・と、もう若くない私は勝手に願ってやまない。


倖田來未の美をDVDで検証!




今 おすすめのJ-POPアーティスト
posted by ヒデユキハヤリモノ at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 美しき はやりモノたち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月01日

ipodのある風景

sound.jpg 「sound」by hideyuki


絵画ではないモノの美しさの話をしたい。携帯電話を始めNintendoDSやPSPや最近発売のwiiなど、ハンディなモバイルやゲームが花盛りであるが、そんな中でも私が一番クールに感じるモノは、何と言ってもipodである。私が所有しているものはipod nanoの初代の白いクラシックカラーのものであるが、その後新しいnanoがよりカラフルに、機能性もアップして登場した。水墨画家の私から見れば、初代の白と黒に色彩的なものには軍配をあげたいが、とにかくこのipod、いやアップル社の製品は本当に一貫して製品フォルムがシンプルに洗練されていて驚きだ。他のゲーム機のようなボタンの出っ張りがひとつもないから、バッグやポケットに難なく入る。しかもこの小ささ薄さに、8GB(nano)の容量を持つ賢さだ!

私は海外から留学している外国の方々に書道をお教えしている関係で、常にこのipodを持ち歩き、英語のポッドキャストをダウンロードしたものや、英会話の教材CDを入れたものを電車の中で聴いて英会話の勉強をしている。そんな時、同じ車両で向かい側の席に目をやれば、必ずや誰かがipodの白いイヤホンをつけて、思い思いのサウンドを楽しんでいる。

英語で「賢い」という意味の単語にsmart(スマート)というものがあるが、日本英語的なスリムと言う意味も加え、まさしくこれが文字どおり、スマートモバイルの究極の形、「機能美」の極みであるように思う。これから更に広がるであろうipodを用いたエンターテイメントから、ますます目が離せない。

続きを読む
posted by ヒデユキハヤリモノ at 18:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 美しき はやりモノたち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

水墨画とは

href="http://hideyukihayarimono.up.seesaa.net/image/3F3F3F3F.jpg" target="_blank">菖蒲 by hideyuki椿 by hideyuki山水 by hideyuki
「菖蒲・椿・山水」by hideyuki


さてここで、私の専門である水墨画について少し触れたいと思う。
上のサムネイルは私の作品である。先にも述べたように水墨画とは、このように墨と筆で植物・風景などを表現する絵画技法だ。彩色には顔彩(がんさい)という、墨にも含まれる膠(にかわ)が定着剤として入った水溶性の絵の具を使う。その膠のせいか、この顔彩は西洋の透明水彩絵の具よりも渋く、温かみのある色合いがでる。油彩画のような塗り重ねを目的とした絵画技法には向かないが、墨の濃淡を引き立てる、さらりとした表現に最適だ。薄い和紙に作品を描いた際、「裏打ち」という水と糊で作品の裏に台紙を張る作業が必要になる。膠は乾くと水に溶けないので、それを含む墨と顔彩で描けば、作品が流れない。このようにして古来から裏打ちされた水墨画は「掛け軸」にされ和室の床の間などを飾ってきた。
 
このシンプルな画材を使って、今まで沢山の巨匠と言われる作家が名画を描いてきた。この絵画技法が中国から日本に伝わったのは7世紀頃だと言われている。そして日本での水墨画のパイオニアともいわれる、雪舟(せっしゅう:A.D.1420〜1506)や、昨年から今年の春にかけて「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」展で話題を呼んでいる若冲(じゃくちゅう:A.D.1716〜1800)らが日本の風土・文化に合わせた絵画技法として、さらに水墨画を今日の日本画といわれるジャンルの確立まで誘引させた。
 このように、日本人は「白と黒で描かれた絵画」に古来から美を見出してきたのだ。とりわけ日本のマンガ・コミックは、歴史の教科書でもお馴染みの「鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが:12世紀頃・作者不明」という、見事に擬人化された蛙や兎が墨と筆の線描で生き生きと描かれている絵画が祖であろう。
 
先に紹介した水墨画の聖人・雪舟は、中国の水墨画を模写に模写を重ねて技法を習得したのち、「本物を見て感じたものを描くのが絵画」と、60歳近い高齢の身で当時の中国・明に渡ったと言う。帰国後、雪舟が描いた「山水長巻」や「破墨山水図」などが名画として今もなお現代人の心を打つのは、当時の世界の文化の先端に在った中国の風景を外国人である己の心を通して見つめ、新鮮な感動をアグレッシブに水墨画として表現しているからであろう。
 
私は雪舟の足元にも及ばない愚劣な作家だが、聖人のスピリットに習い、今現在私が生きている時代に輝いている美を見付け、この美しい墨色を使って表現していけたら、と思っている。

日本の伝統芸術の本

雪舟の郷美術館

「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」展

 昨年東京・京都国立博物館で大好評を博した展覧会が今度は九州で

    九州国立美術館

鳥獣戯画についてのリンク
鳥獣戯画の長い絵巻物を順にクリックして見ることができてユニーク
posted by ヒデユキハヤリモノ at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | はじめていらした方へ・2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月30日

全ては「×××HOLiC」から

TRIP.jpg 「×××Trip」 by hideyuki

(Tribute to「×××HOLiC」ホリック
著作CLAMP 講談社刊)





私の職業は水墨画家である。水墨画とは、古く中国から伝わった絵画技法で、墨と筆で世の中のもの全てを描ききるという、いわば究極のアートだ。
私は国内外で作家活動を続けながら、主に年配の方々に水墨画をお教えしている。

 そんな私が、最近「ホリック」というコミックに出会った。私はこのコミックに自分の専門の水墨画を見るような眼差しで魅入ってしまった。作画の白と黒のコントラストの美しさ!キーパーソンである謎の美女「壱原侑子」はまるで平安時代の姫君のような長い黒髪を持ち、和服を基調とした衣装を身に纏っている。カラーの表紙やページも渋い明度を抑えた色調で、これは水墨画の彩色に使う「顔彩(がんさい)」という墨の黒をより引き立たせる顔料の明度のそれと同じである。ストーリーも人間の心の「闇」に焦点をあてながらも、過去のCLAMP作品の全てに通ずるのであろう壮大なファンタジーに、コミックらしいからっとしたギャグがちりばめられていて、読む者をホリックワールドに縛り付けてしまう。

最初に述べておくが、私はアニメ・コミックフリークではない。けれども、子供の頃は好きなマンガを一所懸命真似して描いた。マンガは絵画的に見ても、ひとコマひとコマが構図・表現力・デッサン力などを問われる高度な絵画の集合体だ。私が絵描きを志すきっかけを与えてくれたものはまさにマンガ・コミックだった。
 
はやりモノ、つまり多くの人に指示されているものは、全て「美」を包有しているのだと私は思う。それは必ずしも形として現れていない漠然としたものかもしれない。けれどもそこに潜む美・芸術性がまぎれもなく私達を魅了しているのだ。良いものは良い。美しいものはジャンルを超えて美しい。私はこれから、画家として、特に水墨画を描く者としての視点で、現代の第一線で輝いているモノの中の美を考察し、それが私というフィルターを通してどのように水墨画として表現されるのかを自己実験してゆきたい。合わせて、それを見て下さる若い方々が日本古来の画材である墨の魅力を再発見してくれたら、こんなに幸いなことはない。アナログ人間の私の拙いサイト運営に度々ご迷惑をおかけすることと思うが、まめな更新に努めるので、良かったらお付き合い願いたい。

今はやりのコミックは
posted by ヒデユキハヤリモノ at 15:33| Comment(0) | TrackBack(0) | はじめていらした方へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。